2014/10/21
透明化と論理的思考
最近読んだ本の中で特に印象深く勉強になった一冊が福澤一吉さんという方の「議論のレッスン」という文庫本です。
議論にはルールがある。そのルールを論者が共通に理解し、論証の生産性と説得力のバランスを取りながら合理的結論に近づけていく重要性がわかりやすく書かれた本です。
よく「日本人は論理的思考や議論が苦手」という意見を耳にします。海外の人々が一般的にどうかわかりませんが確かに自分にも思いあたるふしがあります。そしてこの本を読んで私含め日本人は「論拠を隠して誤摩化しがち」で「反論者も論拠の正当性について言及しない」傾向があるのでは、と考えました。
これら傾向も論理的思考が苦手だから結果的にそうなるのか否かはわかりません。おそらく日本人の議論下手の所以は歴史を遡った精神分析までしないと合点がいかないでしょう。
しかしこの論拠に対してのこだわりの浅さは国際的な流れである「自由競争」と「情報の透明化」に対して遅れを生じさせていると思います。
資本主義社会における自由競争は既得権益や独占における制限など一定のルールを設けて後は自由に競争させれば市場は合理的に動き、結果は最善となるという考えです。
この「合理的に動く」という条件を満たすには「何が合理的か」を人々が考える土台が必要となり、そこであらゆる情報が必要となってきます。
例えば新規の取引先と契約を結ぶ。その相手企業は信に足る者かを実証するには情報収集が不可欠です。
登記簿に不審な点はないか、既存取引先とのトラブルはないか、上場企業であれば財務諸表も確認します。そして登記簿や財務諸表などデータの評価が正しくできるリテラシーと、発言の嘘を見抜くスキルを駆使して相手との距離を縮めていきます。これは正に情報が広く公開されているからできるものであり、論理的思考からの合理的行動と言えます。
一方情報が十分に得られないとしたらどうでしょうか。
「新規取引先を信用するための根拠がない。怖いので今まで問題なく取引ができていた既存取引先に任せよう」
と、「より良くしよう」という思考や工夫が失われ、他者との広いネットワークによる物質やサービスの交換が減り、経済が停滞していきます。
自由競争そのものが正しいかの論争はさておき交換や分配を中央機関でおこなう共産主義が退廃した現在、国際的な流れとしては自由競争のもとであらゆるものの透明化が行なわれています。
日本人は情緒的故に根拠の無い感情論が先攻してしまうのかもしれませんが、世の中にあるさまざまな問題を解決するのは言い争いや人格の攻撃ではなく確かな議論であり、そのために情報の透明化、最終的には“利権構造の再確認”は一層必要だと考えています。
私たちは「自分の意見を持つ」ということが大事と教わってきましたが「自分の意見の根拠を知り、相手に理解してもらえるよう伝える」という次の段階へと進む時期になった気がします。
偉そうに述べましたが私自身、論理的思考や議論を正しくおこなうにはまだまだトレーニングが必要なのでこれからも言葉のひとつひとつに意識を置いて生活していきたいと思います。
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時刻:
6:54 PM