今日はイレギュラーな案件についてメーカーに問合せとオーダー。もちろん会話は全て英語です。しかしまぁ英語できないなぁ。日によっては長時間活発なやり取りができる日もあるのだけど、今日は全然頭がまわりませんでした。「英語は使わなければすぐ忘れる」は紛れも無い事実だと痛感。
それでも普段やり取りをしているジョイス(社長夫人)は信頼がおけてもしこちらが意味不明な英語を言ってもしっかり理解してくれ全く問題は無いのです。
「ビジネスにおいて英語は必要か?」という問題は今でもしきりに取り沙汰されてますが、この問題実ははるか昔からずっと続いているのですね。初等教育から英語を取り入れる話から公用語を英語にする話まで明治時代から議論に上がっていた、と何か忘れましたが本で読んだことがあります。
個人的意見ですが、“全ての”日本人が英語を身につける必要は全く無いと思います。
「これからの時代英語が喋れないと世界に遅れを取る」と言われてはや100年。しかし英語を使ってビジネスをする人は今も昔もごく一部に過ぎません。
せっせと英語を勉強し、TOEICでハイスコアを取り、留学も経験したけれども会社では英語を満足に使う仕事ができない、という方もいるかと思います。
TPPなど貿易の自由化に伴い多少状況は変わるかもしれませんが、英語の重要性が今後劇的に高まるということも無いと思います。英語の重要性を語るときにシンガポールの例が上げられますが、シンガポールと日本では人口も経済規模も全く異なるため同列に扱うのには無理があります。
ではなぜ一部の人間だけが英語を使うのか、という問題を考えると、シンプルに“言語、文化の異なる人間と仕事をするには高いコミュニケーション能力が問われるから”だと思います。
ここでいうコミュニケーション能力とは広い意味で相手と上手にやっていく能力を指しますが、忘れてはならないのが、語学自体はコミュニケーションの一手段であり、それらコミュケーション能力の構成要素は語学力や歴史知識など教養の点以外に感情という不確かなものが大部分を占めている、ということです。この感情の動きに鈍感では英語が達者でも仕事は任せられない。例えばバイリンガルの方は翻訳など専門職では文句無しの人材だと思いますが、彼等がみんな良い渉外担当者になれるかはわからないというわけです。
こと私自身は英語も抜群にできるわけでないし、コミュニケーション力の高いエリートでもない。しかし言葉が十分に通じ合わない時でもメーカーとの信頼関係がしっかり構築されているので意向は汲み取りやすく、仕事は実に円滑に進んでいます(もちろんメーカーには言葉以外でこちらの心情を察するという大きな負担をかけているので改善は必要ですが)
逆にまだ十分に信頼できない相手(嘘を付いたり相手をバカにしたような言い方をする人)と交渉する場合にはコミュニケーション力に加えてより高い語学力が必要だと思います。もしそれが難しいなら
・信頼できる相手からの紹介を受ける
・趣味や嗜好を聞き出して性格を判断する
・気の利いたプレゼントを渡して自分に好意を持たせる
・逆に「私を怒らせると損するよ」という状況を作り、それを相手に誇示する
など、生きて培ってきたコミュニケーション力を総動員する必要があります。
長々と書きましたが、私が切に感じるのは、つまるところ「海外ビジネスも日本でビジネスするのと同じで、感情のやりとりと信頼構築が根幹である」ということです。そこに枝葉として商習慣や言語理解というものがあるわけです。
テストのスコアなど可視化できる語学力に比べたら人間感情のやり取りなんぞ全くもって曖昧でわけがわからないです。
しかし、人と出会い、「わけのわからない人間もいる」という事を知り、そしてそれを認めることが国際人の第一歩ではないでしょうか。