2013/08/12

脱クリエイティブ


今日からお盆休みの人も多いようですが、昼のコンビニはものすごい混雑してました。皆さんお疲れさまです。


以前に「独立起業したいけど良いアイディアがない」と言っていた知人の言葉をふと今思い出したのでそのことについて所感を述べます。


アイディア、今風に言えば「クリエイティブ」という言葉でしょうか。私は過去広告制作の現場にいましたので耳慣れた言葉です。


この言葉が何も無いところから新しく、まだ誰もやっていない、または考えつかないようなセオリーや既成概念から外れたものの表現を意味しているなら、クフウの仕事は全くクリエイティブではありません。


クフウは「みんなが欲しいと思うものを費用や利益を考慮し、適切な値を付けて売る」という平凡な商売の仕方をしています。メーカーでモノを作っているわけでないし、特別な流通モデルを構築しているわけでもない。


ほとんどの会社がクリエイティブとは無関係に商売をしている中で「資本もコネクションも無い中で新規参入者が競争を勝ち抜くには独自性、創造性しかない」と思うのも、もっともですし私もそう信じていました。また広告制作の仕事をしていたときは「もっとみんなを驚かせてやろう」ということに躍起で、それが生き甲斐でした。


しかし今までに無い独自性を生むことが商売の目的だろうか、と考えるとやはり独自性は手段でしかない。人を、社会を豊かにすることが商売の目的だと信じる中ではそう思います。


未知に触れることで驚きや感動を覚えることも大事だと思います。しかし何も新しいことをしなくたってお客さんや社会の役に立てることはあるはずだし、その必要性が認められれば対価はちゃんと支払われます。それに驚きや感動も一緒に提供できるはずです。


また先達の話を聞いたり、読んだりしたところ、独自性は生まれるものでは無く育つものだと思います。最初はただの路傍の石だとしても一度大海に投げ込まれればぶつかりあい、研磨され、独自の色形に成っていくものだと思います。


つまり持論としては最初からアイディアなんか携えずにまずやってみること。行動しなければ可能性はわからない。もしクリエイティブの監獄に捕われて折角の可能性を無碍にするなんてもったいない。


アイディアやクリエイティビティが大事と思うなら、それは本当に誰かの役に立つものだろうか。自分でも気づかない醜いエゴが内在していないか。


アイディアに乏しい。独自が無い。それがどうした。世の役に立つことを考え、こつこつ、きっちりと継続することが一番大事だし、それができれば上手くいくんじゃないだろうか。(もしそれを実行するためにアイディアが必要と言うのなら仕方ありませんが)




なんて偉そうに言っても始めたばかりで上手くいく秘訣も何もさっぱりわかりませんが、私はクフウをアイディアに溢れた創造的な会社より世のために懸命に行動し、汗をかく会社にしたいと思っています。



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