2013/07/01

稲森さんと西田さんとフィロソフィ

今日は法務局に会社の登記申請をしてきました。これからは株式会社クフウとしてカークーンをはじめ様々な素晴らしい製品を世の中に紹介していきたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。





今日の移動中には京セラ、DDIの創業者であり、日本が誇る偉大な経営者である稲森和夫さんの本を読んであれこれと考えました。


稲森さんと言えば有名なのが“フィロソフィ”。「私欲を肥やすでなく利他の精神を持って商売しないといけない」といったような非常に倫理的で素晴らしい哲学を持って実践してこられた。

稲森さんの名前は知っていたけど本や言葉をちゃんと読み聞いたことはないし、正直私も「そんなきれいごとばっかり言っても現実はそう上手くいかないんじゃないか」という思いもあり、特別興味を引くことは無かったのです。加えて稲森さんの宗教に関する発言が苦手でした。


しかし、そうは言っても自分で考え、事業をやっていると辛いことや不安なことは当然ある。不安なことがあると決断力が鈍る。決断力が鈍るとあれやこれや見境無く手を出してしまい、外から一貫性が無くはちぐはぐな印象を与える。一貫性がなければ継続はできない。でも事業の成功には我慢や継続は不可欠…

と、失敗のどつぼにハマっていく。その負の連鎖を何とか止めたい、不安を取り除き、芯を持たなければ、と考えたときに初めて利益ではなく自らの良心を見つめ直し世の中のために働こうと考えたのです。どうせ失敗するなら自分が正しいと思ったことをやろう、と。


しかしこの時点ではまだ稲森さんの言葉は私には響かない。理屈屋な自分は全て自分で納得しないと行動できない。まだ「良心とは何ぞや。世のためとは何ぞや」という疑問が残るから。

そこで悩んでる時に手にしたのが日本哲学界の大家、西田幾多郎さんの「善の研究」でした。そこでは善という掴みどころのない言葉をしっかりと捉え、善に従って生きる重要性が説かれていました。


この「善の研究」、実は二十歳過ぎくらいに一度手に取ってはいるのだが内容がさっぱり理解できなかった本。今思えば人生の経験が足らず、西田さんが唱えた実存や経験の捉え方ができなかったのだと思う。しかし今はずごくよくわかる。ずっと感じて体にまとわりついてたもやもやした感情を説明してすっきりと落としてくれるような、まさに胸のすく思いでした。


そして「善の研究」はやはり最終的に神や宗教の必要性に帰結していきます。

ここでふと思い出したのが仏門にも入った稲森さんでした。そして初めて手に取ってちゃんと稲森さんの著作「生き方」を読みました。

やはり5年前に読んだとしたら理想ばかりの美言とやれ宇宙が云々の宗教話で読めなかったでしょう。ただ、今はすごくよく理解できる。自分の良心、善なるものを思いっきり信じて真剣に生きる。それを助けるのが哲学という信念であり宗教という信仰なのだと。


私もそうでしたが"宗教"や"信仰"という言葉に無条件に拒否反応が出る人はいるでしょう。そのことについて西田さんも稲森さんも違う切り口で反論していますが、要は「神や宗教を信じないこともひとつの信仰であり、等しく宗教である。一方で神を信じることで人は謙虚になる。謙虚さが無ければ成長は無い」ということになります(実際はもっと丁寧にその根拠が書かれています)

また「誰か」や「何か」を盲信することで理性や純粋さを失う不安も信仰をネガティブにする要素かもしれません。その点に関しては「善の研究」の最後にこう書かれています。

「我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずという者は、最も能く神を知り居る者である。」

つまり東洋思想では「神がなんだか知らない、けど神を信じる」という考えも成立する。逆に言えば神さえ信じていれば特定の何かや誰かに盲信する必要は一切ない、ということにもなります。(ちなみにここで西田さんのいう神は実体でなく世界であり、自分ですらある)


以上、色々信じることから宗教までざっくばらんに述べました。けど稲森さんも言っていますが今の私はただそれら重要性を「知ってる」にすぎません。これからはあれやこれや考えながら「経験」として学んでいこうと思います。


とにかく私もしっかり信念を持ち、そしてその信念を貫くために哲学を持って仕事に励みたいと思います。



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